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■ご本家の仏たち

阿弥陀如来 あみだにょらい

 本籍 「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」  現住所 西方浄土  続柄 西方浄土の教主
 愛称 あみださま  別称 無量光如来  旧姓 法蔵比丘   専門 念仏往生、衆生救済


阿弥陀如来ってどんな仏さま?


“なむあみだぶつ”と、お念仏の代名詞になっているアミダさまは、インドの言葉をそのままうつしたもので、「無量」という意味です。

このアミダさまについて説いているお経に浄土三部経といわれる「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」がありますが、それによると仏様の光明が無量で十方の国をあまねく照らすのでアミダ(無量光)といい、また、仏様の国(極楽浄土)の人民も無量であるのでアミダ(無量寿)というとあります。ですからアミダさまは、仏様の智慧(光)慈悲(寿)もかぎりなく人々にそそがれているということをあらわしているわけです。

 それでアミダさまを「無量寿如来」「不可思議光如来」「尽十方無碍光仏」などともよんでいるのです。



いつごろ日本に伝わったの?

アミダさまの信仰は、ペルシャ(イラン)の太陽信仰とか、インド古来のビシュヌ神の信仰などと深い関係があるといわれていますが、西インド、ガンダーラ地方から、中央アジア、中国を通って、日本に伝えられました。幻想的ともいえる理想郷の極楽浄土へのあこがれは、現実の社会が苦しければ苦しいほどつよくなり、アミダさまへの信仰が盛んになっていくのは当然のなりゆきです。

 中国では、この極楽浄土で説かれているアミダさまを一新に念ずることによって、アミダさまを“見仏”し、それによって、未来に往生できると信仰されてきたのですが、これが日本に伝えられると、大きく変わっていきました。


平安時代に大ブーム

 平安時代、恵心僧都が書いた「往生要集」によって日本全国にアミダさまの信仰がひろまり、仏像や絵像を飾って拝むようになったのですが、ちょうどその頃、仏教でいう世も末の「末法」というときになり、世情の混乱とともに人々の不安がひろがり、この世をのがれて、理想郷の極楽に往生したいという重いが強まってゆきました。

ことに法然上人が「アミダを念ずることによって往生できる」という教えによって口に唱える「専修念仏」を説いたところから、一般の人々にひろくひろまり、今日では念仏というと、口にアミダさまの名を唱えることだと思われるまでになっています。

「平家にあらずば人にあらず」と栄華をほこっていた平家が滅び、戦乱の地獄絵を目の当たりにした人々は、ごく自然に極楽往生を願い、一心にアミダさまを信仰しました。

 今日、多くのすぐれたアミダさまの仏像、仏画が残されているのは、それらの人々の切なる願いの“さけびごえ”なのです。


阿弥陀如来を見分けるポイントは?

人差し指・中指・くすり指のいずれかと、親指とで輪をつくっている印相がアミダさまの特徴です。

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